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2015年03月05日

さよなら お母さん

ようこそ『寺嫁つれづれ日記』へkao1

ご無沙汰しております。久しぶりの更新になってしまいました。

先週の月曜日、
2月23日に私の母が息を引き取りました。
25日の葬儀を終え、日常生活に戻っています。



夫の一週間の東京出張が終わるのを待って、21日に子どもたちと新潟の病院に向かいました。
子どもたちとも会えて、少しだけど話もできました。

最期の時は意識もあって、私の言葉にうなづく事もできました。
徐々に呼吸が浅くなって、眠るように逝きました。
微笑んでいるような穏やかな最期でした。

「お母さん、待って、行かないで」
「もういいよ、ゆっくり眠ってね」
いろいろな思いがこみ上げてきます。


その後、徐々に気持ちの整理がついていきます。


まず、和尚さまに枕経をあげていただくと、びっくりするくらい気持ちが落ち着きました。
庄内の言葉で「ゆっくりした」という感じ。

お檀家さん、こんな気持ちで枕経を待ってくださっているんだな。
すぐ駆けつけられればいいけれど、お待たせするときもあるから。
こんなにお坊さんとお経で気持ちが楽になるなんて。
私の夫はこういうお役目をいただいている…。



次に気持ちが落ち着いたのは納棺のときです。

母の髪を洗ってお化粧をしてもらいました。
ここしばらく病気の母しか見ていなかったので、久しぶりにお化粧して髪をふんわりセットした姿が、私にはすごくすごくうれしかったのです。
最後に元気な頃の母に会えた気がしました。
家族みんな涙が止まりませんでした。
泣きながら笑いました。

本当にうれしかった。
長い闘病を経て旅立つことを忘れられるくらいの「ただ眠っている姿」でした。
ここで、また気持ちの区切りがつきました。



最後は収骨のときです。

私たち子どもと孫で収骨した後は、なんだかほっとしました。
なんというか…飛行機がやっと目的地に着陸したような気持ち。
とても不思議な気持ちで、本当に「ゆっくりした」のです。


母がお骨になる前は、お通夜などで母の友人に挨拶していると涙が出てきました。
お骨になると不思議と悲しみや寂しさから一歩離れて、笑って母の思い出を話したり、親戚と近況を報告し合うこともできました。


こうして、私はゆっくり段階を踏んで母の死を受け入れることができました。
葬儀って、亡くなった人を送ると同時に、残された人の心の整理にもなるんですね。


あまり文章がまとまっていなくてすみません。



今まで母を心配してくださったみなさま、ありがとうございました。




  


Posted by チョコチョコ at 03:21Comments(10)ひとりごと