戦後のピアノ!

チョコチョコ

2014年04月20日 18:20




先日実家から、私が使っていたピアノを運びました。

「うちに置いていても、誰も弾かないから」ということで,ピアノ修理の業者さんをネットで検索。
ずっと調律せずに放っておいたピアノがはたして使えるのか??と思いながらも修理の見積もりを数社からいただき、詳しく説明してくださり、料金がリーズナブルで、ピアノ愛にあふれていると感じた業者さんに決定。

ピアノ内部の清掃と乾燥、調律を経て弾ける状態にしてからお引越しです。

このピアノ、もともと中古で買ってもらったものなので古いとは思っていましたが、なんと戦後のピアノなのだそうです。

「いやあ、このピアノがまだ残っているとは驚きです。」
「このNo.300が、ボロボロじゃないのは初めて見ました。」

昭和21年から25年に製造された、ヤマハのNo.300。
この古いピアノが残っているとしたら、古い小学校にボロボロで置き去りにされているくらいなのだとか。
昭和50年代後半に中古で買ったときには、新品みたいにキレイでした。

「今でいうと60万円くらいかけて直してありますよ」とのこと。

今回、修理するところは特になく、部品の交換と乾燥させれば十分使えるということで、年末にお願いしてあったのが先日届きました。


そして、最終仕上げの調律を先週していただいたのです。
新潟の業者さんと同期だったという調律師のかたが、山形市からおいでになりました。
そしてこのピアノを見て

「すごい!」

「これは大橋さんの設計ですね!」
「このころのピアノの音は今と違うんですよ!」
「ここも木で出来ていて...すごいなあ、No.300がこんなにきれいな状態で残っているなんて感激です!」
「このピアノを診せていただいてうれしいです。」


中古ピアノとして引き取ってもらうと値段は0円。
でも、すこし手をかけてもらえばまだまだ十分使えるピアノなのでした。
処分することは考えていなかったけれど、今回、このピアノの持つストーリーを改めて感じました。



ピアノは小学校の4年生から3年間だけ習っていたのです。
こんな中途半端な時期に始めたのは、「将来幼稚園の先生になりたいな〜」となんとなく私が言ったからで、それじゃピアノは必須でしょ、ということで習わせてもらった経緯があるからです。
ところが、中学生になるとバレーボール部が忙しく、ピアノは残念ながら続けられませんでした。

当時家にあったのはオルガンでした。
仕方がないと思っていましたが、やはりピアノとオルガンは別ものです。
でもなんとなく「ピアノ買って」と言えませんでした。

けれどレッスンが進むにつれて、オルガンではどうにもならなくなってきたのも事実。
そこで、とても状態のいい中古のピアノがあると先生が勧めてくださったのが、このヤマハNo.300。

ピアノなんて高価なもの、ムリだと思っていたので、ピアノがうちに届いたときはものすごく嬉しかった。
それなのに、すぐバレーボールに夢中になって弾かなくなってしまって。


そう、罪悪感。

あんなに欲しがっていたピアノなのに、続けなかった。
あれからなぜかピアノに触らなかったのは罪悪感だったと思います。

置いてけぼりにしていたピアノが、また私のもとに来てくれました。
今度こそ、大事にするつもりです。


子供たちも弾いてくれたらうれしい。
楽譜が読めて、ピアノやほかの楽器でも、なにか弾ければ、人生の楽しみがひとつ増えると思います。
私ももう一度ピアノ習いたいなぁ、なんて思っています。






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