息子と私のネズミ事件③
(続き)
「もしかして、死んじゃってかわいそうだったから、ネズミを水から出してあげたの?」
手を洗っていた息子のところへ行ってそう言うと、振り返った息子の目には、あっという間に涙がたまった。
両手をぎゅっと強く握り、大きくうなづいたあと、ぽろぽろ涙を流した。絶対に泣くまいと、握った拳が震えていた。
そうだったんだね、ごめんね、と言って、私は息子を抱きしめた。
息子の気持ちを、もう少しで取りこぼすところだった。
危なかった。
本当に危なかった。
「ネズミさんが死んじゃってかわいそうだったね。
お母さん、ちゃんと土に埋めてお参りしたから大丈夫だよ。
助けてくれてありがとう。
でも、ネズミを手で触らないでね。
病気を持っているかもしれないんだよ。」
息子の眼を見て、ゆっくりこう言うと、ようやく息子の気持ちは落ち着いた。
素手でネズミに触れないでもらいたい私の気持ちは、きっと間違いではないはずだ。
一方で、かわいそうなネズミを、せめて水から引き揚げてあげようと思った息子の心は純粋で尊い。
どんな小さな生き物の死も粗末にしなかったのだから。
私はおとなとして、冷静に息子の気持ちを汲み取ってから説明すべきだったのだ。愚かなことに、私は自分の常識の中でものを見て、大きな声を出してしまった。
びっくりして固まってしまったあの表情と、ぎゅっと握って震えていた両手が、今でも頭に何度も浮かんでくる。
そして、いつも涙が出るのだ。
夫のあの一言がなければ、まったく気がつかなかった。
家族というのは本当にありがたい。
視点を変えて物事を見ると、日常は複雑だけれど豊かなものになる。
7歳の子どもの目線から見ると、今までとはまた違った景色が見えてくる。
こんな景色を大人になってから見ることができるなんて、今まで頑張ってきたご褒美をもらった気分だ。
おとなになるにつれて凝り固まった常識や概念を捨てて、私はもう一度、自由な感性を育てなおすことにしよう。
(おしまい)
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